ファウストフェスティバル2003(略して「ファ祭」なの?)

レポートは結構各所に上がっているので、それをご参照頂くのが宜しいかと。igiさんがリンクをまとめておられるので、この辺りを辿ると雰囲気が判るかもしれないです。id:igi:20030921#p2
実際に当日もその場で聞いている最中は大体噛み砕けていたんだけど、詳細については誰か(メモを取っているようなマメな方)がUpdateするんだろうと思って、自分はその日思ったこととか感じたこととかを中心にしていきたいと思います。ちなみに敬称は「さん」統一の方向で。*1

開演前

会場には虎ノ門の職場からタクシーで直接。天候の所為だろうけど普段より混んでたなーという印象。テールランプの赤が見えるトンネルなんて怖くては入れやしない。
会場にはギリギリに近い18:50過ぎに到着。適当に席を探して、とりあえず一服。どこかで見たような方やこれから演壇に上がる予定の方がチラホラして、というかむしろ私は紀伊国屋のサザンシアター自体初めてなんですが、思っていた印象とちょっと違う会場だなぁというのが感想。キャパの問題なのかもしれないけれど、例えば会場への導線とかがもう少し別の印象だった。サザンシアターといえばいつまでたっても三谷幸喜を思い出します。結局行けなかったんだよなー。

開演

開演の初っ端からムービー。嫌いじゃない感じなんだが、ともかく音の大きく鳴る所に行っていないので、そっちが原因でビクビクする。島島というのが随所に見えたので西島さんだなぁと思いながら見ていたらビンゴ。
司会者の女性はプロの方だと思うのだが*2、各回それぞれの司会は編集長との事。思わず頭の中に徹子の部屋のテーマが流れる。まさに「太田の部屋」リアル版。
舞城さん、西尾さんの電報の紹介。いかにもそれっぽいコメントですが、西尾さんのキャラクタはあれで天然なんでしょうか? ということが気になって仕方ない。露払いって。個人的な経験による感情論で申し訳ないが、あまりに周囲を立てるキャラクタを演出しているような印象を持つと、逆に信用が置けないというか、気の抜けないような気分になる。いや、好きですよ、西尾さん。

第一部『大説とゲームの向こう側!?

第一部は飯野さん、清涼院さん +編集長のトーク。
編集長の緊張が会場内に伝わる。会場全体が微妙にリアクションに困っている感じ。まぁ仕方ないかな、第一部だし。
飯野さんはこういった場で話すことに非常に慣れている印象で、ネタを連続投下。この日の会が終わる最後まで引きずられた「舞城=太田説」がその場を和ます。ゲームシナリオを書く作業と小説を各作業の相違については興味深い。ゲームシナリオは完成するゲームのパッケージに併せて設計されるもので、私の受け取った印象ではデザインに近い。システムやグラフィック、音楽などのボリュームと、メディアとしての容量の兼ね合い、それに予算や期日の絡みなんかも当然あるし、それらが全て相互作用しなければならないのが常だと思うので、(回数の決まった連載などはまた少し異なるニュアンスがあるかもしれないが)単独の個人が書き上げる小説の作業とは作業コンセプトが異なるのは当然なのだろうと思われ、それをどちらも経験した(そしてむしろゲーム側の人間だ)飯野さんから実際に発言されたことは、なんだかすとんと腑に落ちる感じがする。いや、当然俺は違うぞ! というクリエータの方もいるのだろうが、それはそれ、として。
清涼院さんはいつも通りのテンション。少なくとも表面的に見える印象は変わらない。相変わらずだなぁと思う。彼の「常に自分の最新作が最高傑作」というスタンスは非常に羨ましい。特に何かを作る(創作する)立場の者にとっては、自分の過去の作品と最新の作品を比べて最新の作品の方が確実に優れていると自己評価し、更にそれを公表するということは勇気のあることだなぁと思うし、潔く感じる。だから人柄としての求心力があるんだろう。ただ、最高傑作という評価は自己と他者では異なるだろうから、うさんくささ(もっと別の表現があるのだろうけど、思いつかなかったのでこんなかんじで)が消えないんじゃないかと。「短編書こうとしたら400枚近くて」没になったとの話は既知だったが、それがカーニバル・イブだとは知りませんでした。えーと、JDCに関しては色々自分の中で整理が付かないのです、今でも。特にカーニバル・イブ以降。物語の構造だったり相関だったりするあたりに激しく反応していたので、以前に自己完結してしまってたんだろうというのが当時の私に対する最近の自己評価。相関や配置に対する萌えは女子(或いは腐女子)の特徴だと思うのですがどうでしょうか?
全体的にまったりとした内容でした。


休憩をおいて第二部。ところで、喫煙率が高いなーと。かく云う私もsmokerですが。

第二部 『本物のDTPをめざして』

今回、一番気になっていたのが第二部。おそらく多くの参加者にはあまり興味のない部分なのだろうと思う。でも、これが一番気になっていたのは事実。
凸版紺野さんMacと共に入場。えー、できればせっかく背後にスクリーンがあるのだから、InDesignで実際の組版を見せてもらえると楽しかったです。
文芸作品における組版の話。個人的に連想したのはウィリアム・ブレイクのこと。文庫化されて非常に助かった(何が?)というかね、ブレイクは一旦読んでみてくだされ。>身内。『Songs of Innocence and of Experience』が図版入りの文庫で読める、しかもAmazonで買えちゃう時代*3。うひー(<嬌声)
それはさておき、InDesignがあれば誰だって出来ちゃうよー、は嘘。出来ませんよ、やっぱり。少なくともDTP勉強して、組版を理解しておかなきゃ出来ません。同じもの出そうとしたら、それなりの知識とつてが必要だよね。InDesignはあくまでもtoolだし、それがあれば何だって出来るっていうのは勘違い。だから全ての作家がInDesignで仕事をするっていうのはちょっと難しいと思う。ただ、作家側の環境にもInDesignが導入されているんだとしたら、同じものを別のtoolを介して行う作業工程やイメージのコンセンサスを取るのには有効であることには間違いないだろう。それを導入させるっていうのはちょっと現実的じゃないと思うけど、でも事例があって、受け入れる環境があるのならば、今後InDesignの導入を検討する作家は増えるんじゃないだろうか? でも受け入れる側が大変だよっていうのが実情だと思う。随分前のニュースで沈んでしまっているかもしれないけれど、京極さんのDTPに関するエピソードを思い出して苦笑。大変だよねー、きっと。
私が気になった(or気にした)のは、小説を書く人は自分のOutputしたものをどういう形で想像しているのかなーということ。頭の中で想起されたフレーズはどういうようにOutputされるのだろう? 音韻から発生して文字の映像が出てくるのか、その時の文字は活字なのか手きなのか、書体は? 色は? ――なんてことが気になってます、ここ十年ぐらい。その過程こそがDesignだと思っているんだけど、そうするとあまりにもDesignという言葉の定義が広くなりすぎて一般的な用法から離れてしまうので、使わないようにしている。
話はずれてしまったけれど、小説家の人は自分の作品の出来上がりをどこまで想像して書いているのか、というのもこのDTPの話に連鎖して思っていたことだ。自分の中で、自分の作品についてどのようなビジュアルで伝わるのか、そこに注意を向けないのはちょっとpoorでしょ、と思ってしまう。そうでもないのかな? 結局文章っていっても、音声で伝わる前に視覚伝達された文字の形態であるとか、その文字や文字の組み合わせによる図像を意味として変換し、それを更に文脈で理解しようとするような流れが文章を読む際にはあるんじゃないかと。この辺(文字の認識についてのメカニズム、生理的なところでの)は全然くわしくないのでわかりませんが、どうしても気になってしまうんだよね。
自分は同人誌を作っているわけだが、それも文章主体のものにシフトしてからのほうが長くなりつつあるんだが、そういった文字とか組版を明らかに気にしていないものが多いのにちょっと驚いたことがある。どうあったってその組版では読みにくいだろ?!(例えば固定ピッチで、更に文字と行のピッチが同じような) というようなものが実際には有って、どういう事情があるか判らないけれど、それが紙に印字されている活字と彼ないし彼女のアプローチの差なのだろうと思った。そんな印刷物ってあんまりじゃん、と思ったけれど、例えばそれは右綴じの本として提出された場合には縦書きというような暗黙の了解があれば縦書きで読む、更に文字が並んでいて文章として成立しているのであればそれは十分に意味をなるのではないか、ということを言われたら、それはそうだろうけど……としか言えない。例えば、私はこの文書をTeraPadというテキストエディタで書いているけれど(postしている最中にエラーになったりすると寂しいので)、その表示されるフォントは文字・行ともに固定ピッチだ。そしてそこにタイプされた文章の情報を得るのであればそれでも支障はないだろう、というものは、ある意味正しい。でもそうじゃないだろう? コードに固定文字を表示させることで意味を伝えるだけが文書の視覚伝達ではないはずだ。少なくとも、そう私は思ってる。
だから、今回の組版が出来上がりとして成功かどうかということ以前に、そういうコンセプトをもって組版をしているんだよということが伝わることに意味があると思う。
身近に用意できるtoolであなたにも(誰にだって)出来る、というのは、実際にやっている人に対してちょっと失礼なことなのかもしれない。でも、これが身近に用意できるtoolで作られているんだと伝わることは非常に良いことで、それは対象がマスプロダクツであればあるほど、後に効果が出る、と私は思う。
Adobeの製品は高価なので、学生さんは学生さんであるうちに購入すると良いと思われ。InDesignは3がそのうち出るんだろうか?(実際のところ、InDesignは日本語の組版を作るのに非常によいtoolだと思いますよ! 欲しい!)

第三部 『激変する文芸』

おそらく、来場者の一番の目的はこの第三部だったと思われ。しかし東さんと編集長の独壇場。ユヤタンウォッチャはショボーン、なんだろうか。いやいや、ウォッチャの人は開演時に電報を届けるメッセンジャとしてのユヤタンに萌え、第一部の関係者席で微妙に落ち着きのないユヤタンに萌えてただろうから、それでおなかいっぱいにしていてくだされ。
ある意味、予想通りな展開。東さんのトーク炸裂、むしろ編集長弄り炸裂。そう、この会は間違いなく『太田克史を囲む会』なのだと参加者(少なくとも一般読者)は認識してると思うよ!
まぁ、そんなわけで滝本さんも佐藤さんも、両端が繰り広げるマシンガントークに完全においていかれた様子。んー、残念。滝本さんの随所でボソッと出る一言が良い感じです。佐藤さんはむしろ『発言を許されない弄られキャラ』というのがリアル化していて、どこまでが素でどこからが演技なのか良く判らず、あれで素だと強調するのであれば、オネェチャンたち(むしろ最近は腐女子よりも男の子たちに大人気な)のオモチャ確定です。リアル作家ホモ(いや、やおいでもなんでもいいや表現は。でも最近やおいって言い方しないと思うんだよね。どうですか、腐女子の皆さん? 昔でいうところの"June"と"やおい"って言葉ぐらいに温度差が違う気がしますよ。)小説が同人誌でコミケで販売されますよ。そういえば昔、ミステリの同人でリアル作家やおい小説があったことを思い出した。えー、新本格作家辺り大集合で、たしか島田荘司御大総受けだった気がする。今でも持っている方は居るのだろうか?*4いやはや。ところで最近そのジャンル界隈に行っていないので判りませんが、既に実在するんでしょうか? ユヤタン(作家)本は。
会場の1980年以降生まれの人、挙手――の結果に唖然。うわー、率高ッ! と、同時に不安にもなる。正直なところ、私と同じ年代&それ以上の人が多いんじゃないかなぁと多いんじゃないかなぁと思っていた。事前のメールでの抽選でフィルタしているわけはないと思うけれど、物見遊山的なところでももっと居るんじゃないかって想像していたので、ビックリしたのとちょっと寒い気分もした。そこだけじゃだめなんだよ、とアラートが頭の中になっている感じ。でも、実際には会場に来ない読者層で80年代以前の人も多く居るはず…と思いたい。ヤングアダルトで育ってきた人で、今はそんなもの読んじゃいないよと息巻く人にこそ読んで欲しい雑誌だと思う。
んで、はてながはてなが…と話題に上がるはてなですが、hitomisiriingさんのオフがこのイベントの前に開催されていたことが大きかったのかなぁという印象。しかし「はてなに構っているから仕事が進まない」というニュアンスよりも「はてな(の界隈)が嫌い」というニュアンスに受け取られてしまったのは失敗失敗。遊びでも本気でも構わないと思うんだ、はてな参戦は。意見の交換があんなにコンスタントに、誰でも見れる・参加できる状態であるっていうのが、なんだかいいよなぁという感じです。すくなくともあの会場に居たインターネット接続環境にある人ではてな(とその一連の流れ)を知らない人は、はてなを見に来たんじゃないかな? と思うわけであります。
電撃hpは今回のファウストのような流れを持っておかしくなかったというのには頷く。同時に、滝本さんと佐藤さんのように(出版社などの)出自が違うけれども同じカテゴリのものだと認識されているからファウストは作家囲いだと見られるというような主旨もなんとなくわかる。でも後者がどうもしっくり来ないのは自分の中にもっと別の見解があるように思えて仕方ないんだが、それ上手く出てこない。でも大筋では頷いたし、判りやすいなと思いました。きっとそのうち自分でもダラダラこの辺りの話は触れちゃうんじゃないかと思うので、寝かせておく。寝っぱなしになる可能性も高いが。

質疑応答

正直、馴れ合い過ぎ。もっと色んな話になるかと思ったけれど、誕生日の話があんなに長引くのはどうかと。司会者の仕切りの問題でもあると思う。(だってあの質問は一辺に処理しとくようなものでしょ? どうよ?)
後の方でようやく質疑応答らしい内容になる。紺野さんの「難しい質問ですね」の内容も、東さんの「難しい質問ですね」の内容も、もっと早くからこの手の展開になると個人的には面白かったなぁ。あまりバトルっぽい内容にならなかったのが残念。モスコの会は一瞬メールしようかと思ったが、よく考えると自分はモスコミュールにほぼ興味がないことに気付きました。黙ってドライマティーニでも飲んでます。

最後の飯野さんの呼びかけで出た「太田ー」「よくやった!」は、声を出さなかったものの、やはりファウストを立ち上げるまでの彼を労う気持ちはあり、なんだか本当に感極まりそうな編集長を見ながら、2号も買わないとなーと思った次第です。いや、そうじゃなくとも買う予定(忘れてなければ)だけど。
なにかの決起大会のようだった。これは印象。全般的に手際がちょっと悪かったかな。でもまぁどうにか間に合ったっていうのが本当のところなのかもしれない。

その後

諸事情により負け犬の気分になって帰る。いや、諸事情なんてありやしない。なんだかよく判らない(いや、判っている筈だが判りたくないだけ)気分で、一人で軽く食事をして、一杯だけ飲んで帰った。眠ればなんとなく整理が付くんだろうと考えながら、もっと雨が降っていればいいのにと思う。そうすればその気分を雨の所為に出来たのに。あと、晩酌をする習慣はつけておいたほうが良かったなと最近は思う。

最近、楽しいと思うことは本当にあっという間で、楽しいと思わせる事象よりも楽しいと思う自分の神経が問題なんだろうことはわかるけれど、こうもあっさりとdownになるんじゃ気が重いよ、いい大人が――と思う。本当に。

*1:理由は「先生」という敬称が微妙に嫌いだから。そして「様」はもっと微妙だから。本当は敬称略にしようとしたんだけど、どうもニュアンスが変わってきてしまうので「さん」にします。普段は小説家等の作家に対しては敬称略デフォルトで。皆違うのかな?

*2:違うのかな? でも社内でもこういう仕事を良くやる人って存在するよね。プロじゃないけどセミプロ? この境界は結構難しいなぁと思う。

*3:ISBN:4042794017 とか ISBN:4582761208 とか。

*4:更にこの本で一番驚くべきところは、モデルのご本人がコメントを寄せているところだと思う。