マリみて

あと、実は先日コンプしたと思っていたマリみてで1冊分抜けていることが発覚。あーだから祥子さまがぶっ倒れたりしたってことですか、と納得。これで「買ったor読んだつもりで実はそうじゃないマリみて」前科二犯となりました。ちなみに新刊の発売は10/31らしいです。

マリア様がみてる』は、感想をどういうものか纏めることが難しいんですが、私の読書の中では「読み流し」の本です、間違いなく。解読しようとかいう要素を私は求めない。否定するわけでもないしつまらないということもない(つまらないならこんなに一気にいそろえるようなことはあまり無いと思うし)ただ深読みしないで読むのが良いんじゃないかと思った。
それは、私の感想が「いかにも少女小説だなぁという印象」だというところに由るかと思う。
私は、ここ数年というか十年以上というか、いかにも「少女小説」というジャンルの本を読んでいないから、単純に受ける印象や感想は「少女小説」だった。
具体的にどこがというと、主人公(=ヒロインである必要は無い)の主観によるストーリー、短時間の出来事が断片的に語られるものをパラグラフで繋ぐという手法、作品の冒頭にテンプレートによる導入がある、晴れときどき悲劇のち晴れという展開、各キャラクターの家庭的背景の描写、地の分に対する主観者口語の侵食……んー、うまく言い表せないんだが、まぁそういったものをいくつかキャッチすると、自分の中での「少女小説」フラグが立つというわけであります。ノスタルジー。今のいわゆるライトノベルであるとか、がっちりBL系になっているレーベルの内容とは違う感じだなーと。
ふと思ったのは、コバルト文庫という今やBL小説の割合のほうが多いぜーというレーベルの中で普通に「少女小説」を書こうということが難しいのかもしれない。そういう視点では、マリみては百合風に絡めていることにより普通の少女小説からほんの少し脱する脚色をすることで、レーベルになじんでいるというのはどーでしょうか?