昨日の話に微妙に続きますが、

昨日のコメント欄にあったフライヤーを渡したり、夕食を調達したりする関係で相方と会ったのですが、萌え&オタク考察関連リンクに関連した話を結構力いっぱいした。いや、むしろいつものテンションで語っていたわけだが、あまりそこに(つまりやおい・BL論辺り)についてはがっちりと語ったことは少ない。おそらく自分たちとはちょっと別のところの話になっているんじゃないかと感じる部分があったのだと思う。少なくとも私はそうだ。*1
んで、どうして私(もしくは我々)がやおいやJUNEやBLという単語や語意に違和感を覚えるのか、そこをどのように捉えているのかというようなことについて、境界やらトランスジェンダーやらゲイフォビアというような単語も飛び交わせつつ、2時間程度語っていた。そこで相方の一言。
「これって、対談とか交換書簡形式にして載せたら楽しいんじゃない? 2・3人くらい」と言われ、それはちょっと思ってたんだけどねー、という話になる。
ただ、その場でも言ったことだけれど、私は先述の通り自分がそのジャンルに対する要素であるとかが薄いということを自覚しているし、そういう意味では現状に必ずしも即す内容になるとも限らないことが気になっているわけでして、そんなことがありつつこのところ集中的にその近辺が気になりつつあるのも事実なわけで。
んで、それに関連していつも思うのは、自分が何かについてこう公開している日記や文章に表すのは、また誰かと意見を交換したり話を聴いたりするのは、そして関連書籍などを確認するのは、やはり自分が何を考えているのかというようなことについて興味があるんだということで、それが理解できないのは非常に怠慢なのではないかというような強迫観念であり、自分の足元を固める基礎工事のようなものだと思っている。今は、昔の手抜き工事による欠陥住宅のような思考をリストアさせている最中なんじゃないかなぁと。だから断片的な興味のあるものがいくつも散らばっていて、それぞれを確認したり繋げたりするような作業をしているんだろうなぁと思うわけです。結局自分が何で同人誌を作っている・作っていたのか、なぜ(小説やコミックという以外にも全般の)創作をするのか・しなければならなかったのか、そしてなぜそれを常に・永続的に行わないのかがわからないし、その点が非常に据わりが悪いし気持ち悪いから考えずにはいられないんだと思う。変なところが真面目で始末に負えないね。

話はずらしてしまいましたが、まぁそんなわけで、そのうち私と相方はこの手の話について対話形式の文面で話をするかも知れないです。fragileが次に何をするか決めてないし、やってみるのも面白いと、私自身は思っているですよ。

*1:そういえば、相方には「ケーゴさんは”結局自分たち(=相方と私)はそのベクトルが極端に低いから”と言っていたけれど、私はそうでもないよ」と言われてしまいましたが、それでも同人女もしくは腐女子一般の基準値よりは低いよね、ということになったですよ。うん、確かにそうかもしれない。私は自覚的にその素質自体が薄い(むしろ「無い」に近くて、それゆえに共感せずとも理解したいと思っている)と思っているけれど、彼女は素質・素養というものはあるけれど、一般レベルよりは低いことに自覚的(少なくとも近年は)だって子とだよなぁと思った。