BL的要素、の続き。

昨日*1の質問が相方の日記にて応答されていて、あーそんな内容だったかもー、と懐かしむ。

  1:すごい珍しい名前(無理な当て字)の人物が頻出。
  2:カプの両方と(その関係を知った上での)仲のいい、理解者がいる。
  3:主人公、ないし、登場人物は、絶対に平均以上の容姿をしている。
  4:主人公、ないし、登場人物は、頭が極端にいいか、悪い。
  5:主人公、ないし、登場人物の中に一人は、金持ちの息子がいる。
  6:主人公、ないし、登場人物がトラウマを抱えている。
  7:主人公、ないし、登場人物は、家庭に比較的深刻な問題がある。
  8:学園物の場合、必ずと言っていいほど男子校か寮制を敷いている。
    例え共学設定でも、女性は殆どと言っていいほど出て来ない
  9:マスコット的な特殊キャラクターがいる(八クチ、病弱等を含む)。
  10:第三の男が出現し、揉め事が発生する。
とかだと思う。ケーゴさんの上げた『女性と間違われるような容姿をもつ人物が登場する』の項目は、3の容姿が平均以上に良い、に集約していたと思う。
『天涯孤独か、一親等(の一部)が欠損されている』は、上記7に集約される話だと思うが、そもそもケーゴさんが上げたこの項目は、どちらかというとBLに限らず、中高生向けのジュブナイノレレーベルの公募作品に多く見受けられる特徴的設定、という話題で上がった条件だと思うよ。

BLとライトノベルって別に変わらない――ってのは言い過ぎなのをよくよく承知で、BLはオタクないしオタク資質の高い層へのアプローチだと言うことを考えると、多くのライトノベルもその点に於いては同様なんじゃないかと思うわけですよ。というか、オタクの人たち(いや、私を含めても良いが)は嗜好ははっきりとあるけれど、あまりにも興味の幅が広いので、一概にこの一点に集中という傾向が薄くなっているような気がします。だから、オタク向けっていうのはターゲットをオタクに絞っているというだけで、多くの別にオタク向けに作ったつもりなんて無いわよーと思っているような作品や商品にも、反応したりするんだよね。いや、でも当然オタク向けのものへのほうがその反応は激しいけど! なんだか当たり前の事ばっかり書いてますが……

んで、昨日買った野火ノビタ批評集成を読みまして、やおい絡みで自覚したことは、あー私はキャラクタへの愛が薄いんだなぁということでした。それはそうかもしれない。キャラクタありきというよりもむしろ、作品の構造であったりアングルであったりというほうに反応するし、むしろそこに萌え的なものを感じているから、だからこそキャラクタにのめり込めないんだなぁ、と。そのことに関しては十分自覚的だったんだけど、やおいは愛だって書かれると、だから私には薄くしか共感できないんだ、とビシッとなにか突きつけられたような気がする。書かれている点については全て理解できるし、ある程度共感も出来るのだけれど、それでもやっぱり共感しきれないのは、なにより私自身が「当事者」じゃないからなのだなぁと。やっぱりそうなんだということが判ってしまった気がしますよ。
私が気になるところは厳密には、「どうしてやおいを好むのか」「どうしてやおいが発生するのか」ということではなく、「やおいとはどのようなものか」「やおいの構造には何があるのか」「それはやおい独特のものなのか(汎用性はないのか)」……というような、やおいを構成する何かを追求したいのであって、それはやはり当事者の面からではなく外野から解析しているだけに過ぎないんだよ、と思ったです。私はやおいやBLについて親身に、我事のようには感じきれないし、そうなろうとも実のところ思っていない。たとえばそれがやおいやBLを愛好する人たちにとって世界から切って離せないものだったとしても、私はあっさりと切ってしまえるのかもしれない、ということだ。
わたしもそれなりに、というか十年をとうに超えるほどの間、オタク女性であるとかやおい・BL好きな層の人と接点を持っているわけで、彼女たちがやおい・BL的なものにあれだけ熱中しているのにどうして自分はそうじゃないんだろう? ということを考え続けていて、それは集団から阻害されている感覚を覚えたからなんだろうと当時も、今も思っている。
彼女たちはキーワードで会話する。「サイドシートはロマン」「非常階段っていいよねー」「デパート屋上の遊園地とか」これは全てやおいに結びついているシチュエーションで、そこに自分が偏愛するカップリングがいるところ、ひいてはセックスするところを想像して萌える、という部分が割愛されているわけで、初めてやおいの話題と直接触れた中学二年生の私にはどうしてそれが楽しいのか理解できなかったわけです。別にセックスに全く興味が無いわけでもないし、よく思い返してみればなぜか自宅で見つけてしまった洋物無修正ポルノ雑誌だったり官能小説だったりで男女のセックスについてはあまり珍しくも無いかなぁと思っていた私ですが、やはりどうしてアニメのキャラクターが男同士でセックスするシチュエーションを抜き出して語ることが面白いのか理解できなくて、最初は戸惑っていたわけですよ。
結局、その時私が自分に結論付けたのは、そんな風にして(フィクションというかファンタジーというか、ともかく歪んでしまっているけれど)猥談のように大きな声で話す話題ではないものを、同好の士で暗号のように会話するという、秘密めいたものが面白いんじゃないだろうかというもので、要はやおいをコミュニケーションツールとして捉えていたわけだ。その側面は今でも残っているとは思うけれど、それが本質では無いはずだということに気付くのはもっと後のことになる。
だらーっと長々書いて、しかも実のある結論も何も無いんですが、野火ノビタさんはキャラクタを愛し、かつやおい自体に違和感の無い当事者がそれを外部に説明するための自分語りであるのに対して、私がやおいやBLについて考えるのは、やおい事態に違和感を覚える非当事者が当事者とのコミュニケーションを図り、そのコミュニティと自分との距離感を外部に説明するための自分語りなんだなぁと思ったということを書いておこうと思ったわけです。
私がやおいについて語っていることは、当事者にとっては現状に即していないというように思われるかもしれないし、逆にやおい・BLにより遠い人とっては的を得ているように思われるかもしれない。ともかく、批評集成にもありましたが、やおい自体は常に変化・変容しているので、これで決定! ということで語るのは大変難しいと思います。
いや、なんでもそうなのかもしれないけれど。
ちなみに

 で、更にどうでもいいけど、ケーゴさんはいつ頃、O塚英志作品とかを論じてくれるのでしょうか、私の為に(笑)。

論じないから! よろしくー(W

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